文芸にて。   

11月14日。金曜日。



さてさて。

今日は文芸であった出来事を。

(・・・・・・最近文芸であったことばっかりだなぁ。)


今日、俺は英語Aの再試のため、少々遅れて部活へ出向いた。
といっても4時半ぐらいだったが。

さて。
部室に行くと部室前でH瀬殿とK長君、同じM科のO田君が三人でいつものようにバドミンをしていた。
それを見ながら俺は部室の中に入る。
部室の中ではいつものようにH田さんがいつものように自分専用席でいつものように絵を描いていた。

俺はとりあえず荷物を椅子の上に置いて差し入れのお菓子の袋を開けた。
そして部室の入口へ行き、外でバドミンをやってる人たちに「差し入れ~」と声をかけた。
「一段落ついたら行くわ~」と言う返事を聞いて俺は部室の中に戻った。

自分のカバンから自作の小説を出してると遠くから3年生のT岡先輩が来るのが見えた。
首を回転させ、H田さんに「先輩が来ましたよ~」と言ってまた先輩の方に首を戻すと・・・・。



・・・・・・・・・。







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。








先輩が激怒されていた。










遠くからでもその声完璧にではないが、ある程度は聞こえる。


いわく。

「絵を練習せんでいいん?」

とか。

「バドミンするなら体育館でしてくれん?」

とか。


「ヤル気あるん?」


とか。








ごもっともである。




まぁ、いつか言われるかと思っていたが・・・・・・・。
今日は偶然にもいつも来ているkoteとM浦がいなかったが・・・・・・・・・・・・。
いつも優しいT岡先輩がキレた姿というのはいつもの姿と反比例してとてつもなく威厳やら先輩としての熱意があふれていた訳で。



さて。ひとつ問題。




今、手に持っているものは何だ?




























お菓子である。

















バドミンやってて怒られてるならお菓子食ってる俺も怒られかねない。



先輩は説教し終えて部室に迫る。

冷や汗が出る。

H田さんも

「〇〇ちゃんヤバくね?」
(俺のあだ名)

なんて言ってくる。

先輩が部室に入ってきた。

H田さんに習い俺もこんちわーといつものように挨拶をする。


そして、それなりのタイミングでその先輩に

「先輩!差し入れです!!」


と言ったら、

「あ、ありがとぉ~。」

と、顔に若干の笑顔を散りばめながらいつもの優しく敵意のかけらも感じさせない返事を聞き、俺は安堵した。


まぁ、その後は途中まで文芸部室を変なモヤーとした空気が覆ったが俺が変えるころには既に晴れていた。


うん。文芸部の部員はみんな明るいであります。笑。



先ほども言ったように今日は部外者のkoteとM浦(koteは文芸に近日入部予定)、部員のN上氏と、M近さんはいなかったが(B場ちゃんはその後登場)、もし来てまたいつものようにバドミンを大人数でしていたら先輩は怒るどころかそれを超えて泣き出していたかもしれないなぁ・・・。


なんて考える。


当然、この前はラケットが足りずに部室の板やらを使って打ち合っていたがそんなところを見られれば壊したやつは賠償責任問題だろうし、たとえ使わないものであったとしてもそれは文芸部の機材なのだから。


今後先輩の来る回数も増えるだろうが・・・・・・・・・。



















さて。
文芸部の寄り道具合もそうだが・・・・・・。
俺にはもう一つ心配な事柄がある。
それは量と質の問題である。

質と量は反比例。

この現実は過去の歴史を紐解いても多々あることであり、人類の永遠の悩みである。
事実、大日本陸軍もこの問題に四苦八苦していた歴史があり、米国も似たようなもんだった。
同じようにして元軍、信長軍、欧州の騎士の時代。
ジャンルを変えればそこらにある商品(お菓子など)でも言える。
質と量は自然のバランスの上で互いに関係するものなのだ。

たとえば、部員が増えれば人間の物理的な量は増えるが先輩の指導や機材が全員行き渡らなかったり、情報の混乱、重複。予定が合わないなどによる予定の変更そしてそれが伝わらなかったりなど。

つまり、極端な理論ではあるが、機材が使えなかったり、締切が変更になったりすれば質が落ちるのは当然である。

練習によって練度は上昇するが、指導する先輩が一人当たりにつく数が減り、満足な指導ができなくなることも考えられる。
そのため、帰宅した後の自主練習がより一層重要になることであろう。



質と量の両立。


自然界においてこれほど難しい問題はない。
人間も水中での呼吸や空を飛ぶことを妥協してまで両足で立ち、両手で物を作ることを選んだのだ。
そして、質を失った結果、量を得た。
そして、400万年という年月をかけてここまで質(頭脳)を向上させた。

鳥に例えれば、空を飛ぶ代わりに地面を走ることや前足で物をつかむことを放棄してまで、数を得て、現在までに繁殖している。


極端な例ではあるが・・・・・・・・。
大本は同じである。


今後の文芸の先行き、技術の向上により一層の期待をかける。
自分を含めて。

・・・・・・・・・・せめて締め切り前日に慌てるぐらいは勘弁してほしい。


さてさて。ではでは。
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by rikipedia | 2008-11-14 23:03 | 歴史バカの日記

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